寝ゲロ部屋

しがないオープン系SE見習いの雑記(アルコール含)

ネトゲよさらば

ゲーム内では一緒に遊んでいた顔も知らない人たちが、

オフ会で月1のように遊んでいるのを見るとうるさく感じる。

Twitterで身内の会話せずに顔を合わせて喋って今って瞬間を楽しめないのかな、

って感じるようになった。

 

アンインストをポチって未練を断ち切ろうって思って

時間が結構経ってしまったのだけれど、

さっきプレミアムの期限が丁度切れたので、ポチッとな。

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証拠載せておかなきゃ単に愚痴ってるようにしか見えないので、ここに置いておく。

 

十何万ってお金と、数千時間かけたって未練が今となっては全然ない。

それまでの自分にとってネットゲームってどんなに楽しいものだったのか、

今となっては分からなくなった。

 

今は現実が楽しい。

研究室やサークルの仲間と過ごす日々、

休みは自分のために新しいことを勉強したり、リフレッシュする。

大学生の今でしか得られない楽しい時間。

 

気付いたら、自分にはネトゲって必要ないよなと考えるようになっていた。

ウンコ大学生

自分の所属する研究室は自分の大学の中では厳しい方で、週に3回以上と頻繁に指導を受ける。

コアタイムは朝の10時から夕方6時までが普通で、書類が終わらなければ日を跨いでもやる。

前年度以前のデータの処理と引き継ぎがうまく行われず、それに追いつこうとしたり、理解するだけで一日が終わることも多い。

 

M2の先輩はかなりぐーたらで、コアタイムや提出期日を守らなかったり、就活を免罪符にして打ち合わせや学会などの大事な日にも来ない。

教授の指導には猛烈に反発し、メールで連絡事項が来てるにも関わらず見ていなかったり、期日までに資料が出来なかったりすると教授を批判しだす。

 

「自分で調べて、考えてやらないと、かなりまずい。」最近自分はこう思うようになり、先輩や教授からアドバイスを受け、良いところや使えると思ったところだけを真似し、悪いところは徹底的に排除して自分のモノにしようとしてる。

まだまだひよっこで、自分のモノとはなっていないため指導を受ける。

研究自体は書類で進まないが、書類の書き方や、物事の着眼点、資料の探し方と読み方と理解力といった点では4月の配属時点よりはマシになっているので、前に進んでいる実感はある。

ただ、まだまだ勉強不足であり、勉強もコミュニケーションも得意な方ではないので、一つ一つのことに時間をかけすぎている。

時間内にできないのであれば、帰る時間が遅くなるのは当然だし、休みの日もその差を埋めるために努力しなければならない。

帰りが遅い研究室を簡単にブラック研究室だと口にする人もいるが、それは単に研究メンバーないし自分の能力がその研究分野において求められているレベルに対して低いことに起因している場合も多いと強く感じている。

 

大学生は失敗が許される立場ではあるが、努力と進捗管理を怠った必然的な失敗は許されるものではない。

義務教育は中学校まで、高校以降は自由、大学ともなると家庭の事情により進めない人もいる中、社会に出て4年目ともなる人が居る年齢で、怠慢による失敗ですら許されるという認識は温すぎるのではないだろうか。

 

多くの平均的な大学生は、憧れの大企業で就職活動をして、1社目の不採用メールを受け取って初めて自分の無能さを知ると思う。

大学院に進む人であれば、2年先延ばしになるのだけれども、もっと条件(具体的には能力や研究内容が問われる)が厳しく、研究もがっつりやらなければいけない中でのハードスケジュールな就職活動となる。

大学では大学院への進学を推奨しているが、このような実態については全く触れない。説明する必要もあるのだろうが、20を過ぎたら世間的に見れば大人なのだから、これくらいは自分で想像しなければならないとも思う。

 

Twitterを見ていると、比較的時間がある大学生・専門学校生や、就業時間が決まっている社会人が楽しそうに(実際その内容が楽しいかは別として)ゲームをして時間を潰している。

たしかに、自分もやりたいとは思うのだけれども、エネルギーのほとんどをコミュニケーションと文章作成に削られていて家に帰ったら一刻も早く寝たいのだ。

自分は無能である。無能だから勉強するし、平日勉強する暇がないのであれば休日にやる。(やらなければ自分が困る。)

 

社会人になったらかなり大変だと聞く。

単にバイトをして適当に講義を受けていた頃の体力と精神力を100とすると、繁忙期は最低300ずつは必要なようである。

それを下回ると、身体を壊したり、精神を病んで休職しなければならないようだ。

体力と気力の配分も考えなければならないようだが、今の自分は恐らく、HP120 / MP120のLv2くらいのかなり弱いモブである。配分の余裕すらない。

であれば、今の自分はゲームをしている場合ではなく、平日は体力と精神を全回復することに努め、休日も使って自分のレベリングをした方があとあと楽なのだ。

300/300とまではいかなくても、200/200くらいまで上げておけば、100/100からレベリングをするよりは全然マシである。しかも最低ラインが300なのだから、かなり大変だ。

だから、今頑張る必要があるのだ。今レベリングしなくていつできるっていうんだ。

 

高校生とかB1でとっくに気付いてる人は、今は凄い研究をしてたり、実際に成果を上げている。

自分はその自覚が無くだらだらとB1を過ごし、B1での留年をきっかけに知って、B4での研究室のM2の怠慢からの反面教師で改めて思い知らされた。

どちらかと言うと気付くのが少し遅かった平々凡々などこにでもいる普通の大学生だ。

 凡人は凡人らしく腰を低くして、だけど自分に対しては意識はすこしだけ高くするつもりで2月までは過ごす。

 

長々と書いてしまったけど、よーするに

・まずは何でも自分で考えろ。

・多くの普通の大学生は無能。無能の自覚を持つなら早いほうがいい。

 そこからがスタートライン。

・何のために大学院に行くの?ただのモラトリアムなら就活しないと

 出来る後輩が来た時に鬱になるし、就活を先延ばししただけになるぞ。

 大学は大学が不利になることは何も教えてはくれない。自分で考えるべき。

・ちょっとゲームは辞めて自分に投資してもいいんじゃない。

 

ってウンコ大学生の、自分の過去へのクソみたいな反省と、クソよりも価値がない当たり前すぎるチラ裏でした。

 

おしまい。

うんこで覚えるDXライブラリ(第一回)

自分用のメモとしてここに置いておくことにする。

プログラミングはうんこである。

ならばうんこプログラミングをする人はうんこプログラマーである。

つまり、自分はうんこプログラマーということになる。

そういうもんなのだ。

 

今回の目的はうんこを動かすことだ。

動くうんこ。動くうんこンゴ。 

 

まずは、うんこプログラマーになるために、うんこする環境を導入しよう。 

VC++ 2010は全国1億2千万人の日本人がうんこをする公衆便所だと思ってもらって構わない。

標準的な和式便器である。ウォシュレットなどない。

ただ、それだけ馴染み深く、お年寄りから子供まで誰もが使える便器である。

まずはこれを使わないと野糞することになる。絶対に入れよう。

 

・・・

 

・・・・・・インストールが終わるまでうんこしたくなる長さだな。

 

登録キーの取得はGoogle先生捨て垢を作ってでもやっておいた方がいい。

 

よし、これでうんこができるぞ。と思ったら大間違いだ。

まずはトイレットペーパーがなければ話にならない。

ということで、紙を用意しておいた。

つべこべ言わずにとりあえず入れて実行しろ。うんこ拭かないままトイレから出ることになるぞ。

そして、このケツを拭くって動作はうんこをする度に必要になる。

 

新しいプロジェクトを作ったら名前を付ける。

ソースファイルを作って、ソリューションのプロパティを開く。

文字設定をしたら、インクルードファイルにライブラリのパスを割り当てる。

マルチスレッドの設定をしたら準備OK。

 

手順で覚えるな。何をしているのかを考えて体に馴染ませろ。

手順で覚えようとすると、和式便所から洋式便所になった途端に最初からケツを拭く奴が出てくる。

はたから見ればただのバカだけど、結構あるあるだからな。

うんこし終わったらケツを拭くために紙はあるんだよ。いいな。

 

ここまでできたらこのテンプレートをとりあえずコピペしてソースファイルに貼りつけてほしい。

このテンプレートは最後まで使っていくことになる。

プロジェクトを作るたびにコピペして使ってくれると楽になるはず。

F5キーを押してコンパイルに成功すると、真っ黒なウィンドゥが表示される。Escキーで終了する。

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初期化と描画の詳しい処理内容を知りたければ、以下のサイトを参考にしてほしい。

DXライブラリ置き場 リファレンスページ

 

サンプルも付いてて分かりやすいのはこっち。

ともかくこのテンプレ使っておけばビギナーうんこプログラマーは困らないはず。

 つぎはうんこの準備だ。

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ここに光り輝くうんこを置いておくから、プロジェクト内に入れてくれ。

著作権フリー。丹精込めて作りました。

デフォルトなら、 ライブラリ>ドキュメント>Visual Studio 2010>Projects>(プロジェクトフォルダ名)でその中に入れればOK。

ソースコードはとりあえずこれをコピペ。

gpUpdateKeyって関数が増えてるけど、これは全部のキーを監視しているもの。

押してる間はこのフラグが立って、押されているキーの配列がどんどん増えている。離すと0に戻る。

65行目のwhile分の条件式に書いておくと押してる時に画面が更新されるってわけやな。

 

実行結果はこんな感じ。十字キーでうんこが動く。

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詳しくはここを見るといい。

 

とりあえず、自分用のうんこプログラムの殴り書きはこれでおしまい。

2015年上半期のおはなし

色々なことが一段落付いた。

等身大の自分の考えとしてここに残しておきたいと思うことができたから、ここに記しておきたいと思う。

フィクションも1~2割くらい混ざっているからあまり真に受けないで、適当に流してほしい。

ただ、ほとんどは本当にあったことだ。

 

話は2015年の1月に遡る。

今年度から就職活動の広報活動の解禁が3月になった。

研究室に仮配属され、ゼミで簡単なプロジェクトをする機会が増えて、

ようやく研究室生活にも慣れてきたころだ。

 

教授「来週はOBであるG(仮称)くんが当研究室に来ます。

   みなさんもそろそろ就活が始まると思うので、是非参加して下さい。」

 

なるほど、そんな時期か。そろそろ就活を考えねばなと思った。

当時、自分は1年次にバイトのしすぎで学業を疎かにしてしまい留年した実質4年生の3年生であった。

当然留年したのだから、大学院への進学は経済的に厳しく、就職を考えるのは必然だった。

 

次の週、OBのGさんがやってきた。

Gさん「我が社(U社としておく)は上場企業で、業績も毎年右肩上がりです!是非我が社にエントリーしてください!」

開口一番がそれだった。

なるほど、社会というものはそういうものか。

ぼんくらな当時の自分の脳みそはこう感じた。

そして同時に、就活を始めねばなと思ったのだった。

 

SPI対策や、自己分析をかじる程度にはやり、迎えた3月。

周りの状況が一変していた。

それまで茶髪でハナピアスをしてプログラミングなんてわかんねーよと

講義中にYouTubeをずっと見ていたような集団が髪を黒く染め上げ、

パッと見、若手社員と見分けが付かないような出で立ちになっていた。

唖然とした。

 

スーツの準備やら、業界分析やらを4日前から付刃でやっているうちに合同説明会が始まった。

真っ先に向かったのは、もちろんOBのGさんの居るブースである。

自分Q「おはようございます」

Gさん「あっ、Qくん我が社のブースへお越しいただきありがとうございます。ささっ、こちらへ。」

Gさんはハキハキと応対し、自分をブースの最前列へと座らせた。

Gさん「我が社は一部上場しており~立地条件が~社会保障が~」

研究室のゼミでも聞いていた話の内容だし、その会社の下調べもしていたのでよくわかった。

Gさん「何か質問がある人は、あ、Qさんどうぞ。」

自分ことQは質問もあらかじめ考えてきていたのでスムーズに受け答えをした。

そして流されるまま、あっという間に午前の部が終わった。

休憩しようと会場に出ると、そこにはGさんと役員であるJさんが立っていて、こっちで一緒に御飯を食おうと近くのファミレスへ誘ってくれた。

Gさんはスパゲティを全員分頼むと、料理が運ばれてくるまでの間、大学時代の思い出話をたくさんしてくれた。

ここで役員Jさんが口を開く。

役員J「ところで、君は今から時間があるかね?ちょっとしたテストをしたいと思うのだが。」

自分はこの機会を逃すまいと二つ返事をすると、役員Jは

「あ、じゃ、いますぐしよう。会場移すからちょっと付いてきて。」

何も食べずに店を出た。

窓からレストランを覗くとスパゲッティが運ばれてきていて、Gさんがウェイターさんに頭を何度も下げていたのはかなり鮮明に覚えている。

Jさんと近くの喫茶店まで歩きながら、バイト経験、得意科目、出身校、家族構成などの話をした。

喫茶店に入るなり、見覚えのあるような問題が書かれている紙を手渡された。

「それじゃ、今から簡単なテストするから10分でやってみて」

もちろんSPIと一般常識の問題である。

自分はこの時お腹が空いていて、あまり集中できていなかったように思える。

「はーいやめ。3分だけ待ってて。」

そう言うとJさんはすごい勢いでチェックをした。Jさんは大きくため息をついて一言

「君はプログラマー向けだね。時間も時間だし、他にもブースを見たいだろうからいっておいで。」

自分は軽く会釈をしてありがとうございました。と言うと、すぐに喫茶店をあとにし、合同説明会会場へと戻った。

16時を回っていた。

18時に合同説明会は終了し、家に帰るなり自分はすぐにU社へ面談のお礼のメールを出した。

メールは返ってはこなかった。

 

3日後、就職担当の教授Rの元へ向かい、U社に推薦を出して貰えないかと面談にいった。

すると

「きみきみ、本当に空気が読めないね。U社からお怒りのメールが私のところに着てたよ。あまり大学を困らせないでくれ。」

訳が分からなかった。

ゼミでのプチ説明会があったこと、合同説明会であったこと、

それから面談に引きぬかれたこと、メールが自分へ返ってきてないことをR教授に話した。

「あー、大人の世界ではよくあることだ。君も良い社会勉強になっただろ。

 社会にでる前に経験しておいてラッキーだったね。」

どうやら大人の世界では不条理で理不尽なことなんて死ぬほどたくさんあるらしい。

就活が怖くなった。

 

次の日、自分は会社説明会に来ていた企業がどんな会社なのかもう一度調べ直すことにした。

朝9時に始めて、気付いたら夜の11時を回っていたと思う。

 

週が明け、次は派遣SE業であるC社の推薦を貰いにR教授のところへ向かった。

「きみ立ち直り早いね。あーC社か、いいとこだね。今手続きするから待っててよ。」

こうして自分はC社の推薦をもらったのだった。

なんでこのご時世派遣SEなんだって。当時の自分はあのショックから

「あまりにも世の中を知らなすぎる。

 だったら色んな会社を見て回って、転職も一応できる業界にしよう」

って、まあ要は「潰しが効く」って考えたらしいね。

大手も狙えただろうし、他にも色んな業界を見て回れたはずなんだけど、

この時の俺はビビってしまっていて、それでも良いと思った。

 

そんなある日、事件が起きた。

だいぶ前から親しくしていた友人が、遠距離恋愛の末、破局してしまい、引きこもりになってしまった。

細かい話は省略するが、相手が新しい人ができたからと、捨てられてしまったらしい。

その友人は初めての恋愛だったから、失恋のショックはかなり大きく完全に壊れていた。

そして、その人の相手は俺もよく知っている人だった。

 

心身的なショックの恐ろしさは自分はよく知っていた。

1年次に留年が確定し、次の学期が始まろうとしていた頃、

開店から閉店まで行きつけのゲーセンの休憩コーナーに入り浸り、

1クレもゲームをせず目の焦点も合わないままボーッとしていた時期があった。

その時助けてくれたのは常連の方々と店員さんだった。

「留年したくらいで落ち込むなや、俺なんてもう30になるから選べないぜ。贅沢な悩みしやがってw」

そんな声をかけてもらった上にアイスも奢ってくれて、なんだか落ち込んでるのが申し訳なくなってきた。

たかが一年の留年が何だ。がんばろうって思ったのだった。

 

そういう時は、他の人の力を借りないと壊れた人間は治らない。

だから、自分はその人を励ました。

そうしたら、ちょっとずつ、ちょっとずつ良くなっていった。

あの人も頑張っているんだから、自分も頑張らなくちゃ。

そう思った。

 

それから、がむしゃらに頑張った。面接対策、SPI、一般常識などなど。

他の人がまだ遊んでいる時期に、平日は教授や就職課のところへ毎日行って書類やら面接対策をした。

土日は朝から晩まで筆記試験対策をした。

そうして、あっという間に4月になった。

この日は自分の好きなネトゲのオフイベが初めて東北までやってくる。

今まで土日もなく就活をやっていたから、この日くらいは忘れたいよねとオフイベに参加した。

オフイベは楽しかった。ネトゲでしか会ったことがない人に何人かは会うことができた。

その様子はニコニコ生放送で実況していて、Twitterでもかなり盛り上がっていた。

そんな時にLINEが母から届いた。

「おじいちゃんが亡くなりました。今から来れますか。」

自分はまだ会場が終わってないからと、LINEを返したのだけど、すぐに母から折り返し電話が来て

「いっまなにしてんだず・・・!!こげな忙しいどきに・・・っ、・・・はやぐ来い!!!何時に駅にむがえに行げばいいんだ・・・!」

とバッリバリの東北弁で静かに怒っていた。

折角の開発の方々と話せる少ない機会だったのだけれど、打ち上げのじゃんけん大会が始まるときに、自分は会場をあとにした。

 

実家の近くの駅につくと車で迎えに来ていたのはこの春、地元のメーカーに就職したばかりの弟だった。

弟は少しキレた口調で「なにしったっけの」と言ってきた。

「仙台でオフイベあったんだっけず」と返し、終始無言で葬儀場まで行った。

そこにはじーちゃんが棺桶の中に入っていて、静かに眠っていた。

じーちゃんのおでこを触ったら冷たかった。完全に物になっていた。

親父はかなり忙しなく動いていた。

 

葬儀の段取り、お坊さんの手配、親戚への連絡、仏壇の購入、かなりいっぱいいっぱいだった。

うちのかーちゃんは鬱持ちで、少しヒスってて何をしたら良いのか考えられず、

親戚の相手だけをしていた気がする。

そうしてあっちゅーまに葬儀となり、火葬され、じーちゃんは骨壷に入り、お寺に納められた。

ここまで3日、自分には一瞬の出来事であった。

ばーちゃんはこの辺りからボケが加速し始める。

 

それから下宿に自分は帰って就活を再開した。

葬儀の日にも他の会社の面接の予定は入っていたのだが、

葬儀でキャンセルのメールを出したにも関わらず、

メールが返ってこないところだった。

行かなくて本当に良かったと思った。

 

そのままトントントンと、一次筆記、二次面接、役員面接と週1ペースで東京へ夜行バスで通い、最終面接が終わってビルを出た瞬間「内定書類をお送りしますが、住所は○○でよろしかったでしょうか」と電話が来た。

あまりにも呆気なくて推薦を使った就活ってこんなものか、と思った。

内定確約書を送付し、自分の就活はここで終わった。

気付けば6月になっていた。

 

6月に入ると研究室の研究が本格的に始まる。

うちの研究室は先輩が去年でほとんど就職してしまったので、

その代で終わらなかったデータの処理もやらされている。

朝10時前に来て、帰るのはいつも教授が帰る19時以降。

別に早く返ってもいいのだけど、暗黙の了解があった。

資料を次の日まで作る必要があれば10時台以降も月に2回はある。

輪講は週に2回ある。予習復習は勉強ができない自分には毎回5時間は必要で、

それを終わらせた上で家事をやれば自分の時間はほとんど無かった。

土日のどちらかはサークルか研究室の飲み会や学会がある月であった。

気付けば、週1の休みは死んだように朝から晩まで寝ていた。

 

7月に入った。じーちゃんの四十九日である。

実家に帰ると、昼から親戚と酒盛りである。当然、世間話で盛り上がる。

同じ年の従兄弟は高卒で就職しており社会人5年目。出来婚で6月に結婚し、7月に出産予定である。

従兄弟の兄貴は専門卒の同じく社会人5年目。貯金が貯まったら彼女と結婚するそうな。

弟は地元の有名メーカーの社会人1年目で、残業時間が長くてどうのこうのという話だった。

俺は大学で忙しいという話しかできない。

そうすると、親戚はみんな社会人だから、「学生っていいよな。」だとか「毎日楽しいでしょ?」と言われる。

地方には大卒はかなり少ないから、こういう扱いを受ける。

「そうっすね」と流す自分。

すると酔った親父がオフイベで遊んでいた時のことを持ち出し

「今しか遊べないからっていい身分だこと」と言ってきた。

当然これには自分もキレる

「ほっだなお前だに大学の何がわがるっていうんだ!!就活もすねでのうのうと生きてきて!!ほんで今つれえって何や!!」

酒が入っていたとはいえ、親戚の前で自分はブチ切れてしまった。

母が止めに入るも、場の雰囲気は最悪で、耐えられなくなった自分は自分の部屋へと戻っていった。

昼からべろんべろんになっていて、自分の部屋で泣いた。

あとで親戚が帰るときは無理やり出迎えさせられた。

 

7月の2週目になった。

少しだけネットゲームに触れる時間ができた。(といっても毎日2時間が限度だが)

振られたあの人はすこぶる元気になっていた。

だけど、自分の中でネットとのズレを感じるようになった。

自分は3月からほとんどネトゲに触れていない。

みんなネトゲする時間はたっぷりあるように見える。

そして、実際そのネットゲームの話で毎日のように議論なり、募集なりで賑やかになってる。

自分は仲間はずれにされているって嫌な気分になって、他のゲームをした。

そして水曜のアップデートが来て、区切りもいいし、時間もちょっとなら作れるからそろそろ復帰したいなと思った。

 

俺は苦し紛れにお前は時間は作ればあるじゃんだとか、非効率なプレイ云々いう人に対してかなり毒を吐いた。

そうしたら、昔から仲の良かったはずのフォロワーからブロックやらリムブロを受けしまっているということが分かってきた。

 

ネットに現実を持ち込んだ自分を後悔しつつも、所詮他人は他人なんだなって強く実感した。

強い孤独感と排斥感を感じ、いつの間にか、大学の研究室に居ることが自分にとって心の安らぎであり、居場所なんだって思うようになっていた。

 

前まで自分のいた居心地のいい場所は、気付いたら無くなってた。

正確には吐く相手も居なくて自暴自棄になって自分で壊していた。

我慢しなきゃいけないことってこんなに大変だったんだね。

こんなことで自分は社会人になれるのかかなり不安だ。

 

もう他人と比べるのは疲れただろう。考えるのはやめておやすみ。

そうして今は毎日10時間近くぐっすり寝て、

起きたら研究室に行くだけの生活を送る

ありふれたただの"痛い大学生"になったのでした。

 

環境で人は変わるってお話でした。おわり。