寝ゲロ部屋

うんこ垂れ蔵の寝ゲロ部屋

2015年上半期のおはなし

色々なことが一段落付いた。

等身大の自分の考えとしてここに残しておきたいと思うことができたから、ここに記しておきたいと思う。

フィクションも1~2割くらい混ざっているからあまり真に受けないで、適当に流してほしい。

ただ、ほとんどは本当にあったことだ。

 

話は2015年の1月に遡る。

今年度から就職活動の広報活動の解禁が3月になった。

研究室に仮配属され、ゼミで簡単なプロジェクトをする機会が増えて、

ようやく研究室生活にも慣れてきたころだ。

 

教授「来週はOBであるG(仮称)くんが当研究室に来ます。

   みなさんもそろそろ就活が始まると思うので、是非参加して下さい。」

 

なるほど、そんな時期か。そろそろ就活を考えねばなと思った。

当時、自分は1年次にバイトのしすぎで学業を疎かにしてしまい留年した実質4年生の3年生であった。

当然留年したのだから、大学院への進学は経済的に厳しく、就職を考えるのは必然だった。

 

次の週、OBのGさんがやってきた。

Gさん「我が社(U社としておく)は上場企業で、業績も毎年右肩上がりです!是非我が社にエントリーしてください!」

開口一番がそれだった。

なるほど、社会というものはそういうものか。

ぼんくらな当時の自分の脳みそはこう感じた。

そして同時に、就活を始めねばなと思ったのだった。

 

SPI対策や、自己分析をかじる程度にはやり、迎えた3月。

周りの状況が一変していた。

それまで茶髪でハナピアスをしてプログラミングなんてわかんねーよと

講義中にYouTubeをずっと見ていたような集団が髪を黒く染め上げ、

パッと見、若手社員と見分けが付かないような出で立ちになっていた。

唖然とした。

 

スーツの準備やら、業界分析やらを4日前から付刃でやっているうちに合同説明会が始まった。

真っ先に向かったのは、もちろんOBのGさんの居るブースである。

自分Q「おはようございます」

Gさん「あっ、Qくん我が社のブースへお越しいただきありがとうございます。ささっ、こちらへ。」

Gさんはハキハキと応対し、自分をブースの最前列へと座らせた。

Gさん「我が社は一部上場しており~立地条件が~社会保障が~」

研究室のゼミでも聞いていた話の内容だし、その会社の下調べもしていたのでよくわかった。

Gさん「何か質問がある人は、あ、Qさんどうぞ。」

自分ことQは質問もあらかじめ考えてきていたのでスムーズに受け答えをした。

そして流されるまま、あっという間に午前の部が終わった。

休憩しようと会場に出ると、そこにはGさんと役員であるJさんが立っていて、こっちで一緒に御飯を食おうと近くのファミレスへ誘ってくれた。

Gさんはスパゲティを全員分頼むと、料理が運ばれてくるまでの間、大学時代の思い出話をたくさんしてくれた。

ここで役員Jさんが口を開く。

役員J「ところで、君は今から時間があるかね?ちょっとしたテストをしたいと思うのだが。」

自分はこの機会を逃すまいと二つ返事をすると、役員Jは

「あ、じゃ、いますぐしよう。会場移すからちょっと付いてきて。」

何も食べずに店を出た。

窓からレストランを覗くとスパゲッティが運ばれてきていて、Gさんがウェイターさんに頭を何度も下げていたのはかなり鮮明に覚えている。

Jさんと近くの喫茶店まで歩きながら、バイト経験、得意科目、出身校、家族構成などの話をした。

喫茶店に入るなり、見覚えのあるような問題が書かれている紙を手渡された。

「それじゃ、今から簡単なテストするから10分でやってみて」

もちろんSPIと一般常識の問題である。

自分はこの時お腹が空いていて、あまり集中できていなかったように思える。

「はーいやめ。3分だけ待ってて。」

そう言うとJさんはすごい勢いでチェックをした。Jさんは大きくため息をついて一言

「君はプログラマー向けだね。時間も時間だし、他にもブースを見たいだろうからいっておいで。」

自分は軽く会釈をしてありがとうございました。と言うと、すぐに喫茶店をあとにし、合同説明会会場へと戻った。

16時を回っていた。

18時に合同説明会は終了し、家に帰るなり自分はすぐにU社へ面談のお礼のメールを出した。

メールは返ってはこなかった。

 

3日後、就職担当の教授Rの元へ向かい、U社に推薦を出して貰えないかと面談にいった。

すると

「きみきみ、本当に空気が読めないね。U社からお怒りのメールが私のところに着てたよ。あまり大学を困らせないでくれ。」

訳が分からなかった。

ゼミでのプチ説明会があったこと、合同説明会であったこと、

それから面談に引きぬかれたこと、メールが自分へ返ってきてないことをR教授に話した。

「あー、大人の世界ではよくあることだ。君も良い社会勉強になっただろ。

 社会にでる前に経験しておいてラッキーだったね。」

どうやら大人の世界では不条理で理不尽なことなんて死ぬほどたくさんあるらしい。

就活が怖くなった。

 

次の日、自分は会社説明会に来ていた企業がどんな会社なのかもう一度調べ直すことにした。

朝9時に始めて、気付いたら夜の11時を回っていたと思う。

 

週が明け、次は派遣SE業であるC社の推薦を貰いにR教授のところへ向かった。

「きみ立ち直り早いね。あーC社か、いいとこだね。今手続きするから待っててよ。」

こうして自分はC社の推薦をもらったのだった。

なんでこのご時世派遣SEなんだって。当時の自分はあのショックから

「あまりにも世の中を知らなすぎる。

 だったら色んな会社を見て回って、転職も一応できる業界にしよう」

って、まあ要は「潰しが効く」って考えたらしいね。

大手も狙えただろうし、他にも色んな業界を見て回れたはずなんだけど、

この時の俺はビビってしまっていて、それでも良いと思った。

 

そんなある日、事件が起きた。

だいぶ前から親しくしていた友人が、遠距離恋愛の末、破局してしまい、引きこもりになってしまった。

細かい話は省略するが、相手が新しい人ができたからと、捨てられてしまったらしい。

その友人は初めての恋愛だったから、失恋のショックはかなり大きく完全に壊れていた。

そして、その人の相手は俺もよく知っている人だった。

 

心身的なショックの恐ろしさは自分はよく知っていた。

1年次に留年が確定し、次の学期が始まろうとしていた頃、

開店から閉店まで行きつけのゲーセンの休憩コーナーに入り浸り、

1クレもゲームをせず目の焦点も合わないままボーッとしていた時期があった。

その時助けてくれたのは常連の方々と店員さんだった。

「留年したくらいで落ち込むなや、俺なんてもう30になるから選べないぜ。贅沢な悩みしやがってw」

そんな声をかけてもらった上にアイスも奢ってくれて、なんだか落ち込んでるのが申し訳なくなってきた。

たかが一年の留年が何だ。がんばろうって思ったのだった。

 

そういう時は、他の人の力を借りないと壊れた人間は治らない。

だから、自分はその人を励ました。

そうしたら、ちょっとずつ、ちょっとずつ良くなっていった。

あの人も頑張っているんだから、自分も頑張らなくちゃ。

そう思った。

 

それから、がむしゃらに頑張った。面接対策、SPI、一般常識などなど。

他の人がまだ遊んでいる時期に、平日は教授や就職課のところへ毎日行って書類やら面接対策をした。

土日は朝から晩まで筆記試験対策をした。

そうして、あっという間に4月になった。

この日は自分の好きなネトゲのオフイベが初めて東北までやってくる。

今まで土日もなく就活をやっていたから、この日くらいは忘れたいよねとオフイベに参加した。

オフイベは楽しかった。ネトゲでしか会ったことがない人に何人かは会うことができた。

その様子はニコニコ生放送で実況していて、Twitterでもかなり盛り上がっていた。

そんな時にLINEが母から届いた。

「おじいちゃんが亡くなりました。今から来れますか。」

自分はまだ会場が終わってないからと、LINEを返したのだけど、すぐに母から折り返し電話が来て

「いっまなにしてんだず・・・!!こげな忙しいどきに・・・っ、・・・はやぐ来い!!!何時に駅にむがえに行げばいいんだ・・・!」

とバッリバリの東北弁で静かに怒っていた。

折角の開発の方々と話せる少ない機会だったのだけれど、打ち上げのじゃんけん大会が始まるときに、自分は会場をあとにした。

 

実家の近くの駅につくと車で迎えに来ていたのはこの春、地元のメーカーに就職したばかりの弟だった。

弟は少しキレた口調で「なにしったっけの」と言ってきた。

「仙台でオフイベあったんだっけず」と返し、終始無言で葬儀場まで行った。

そこにはじーちゃんが棺桶の中に入っていて、静かに眠っていた。

じーちゃんのおでこを触ったら冷たかった。完全に物になっていた。

親父はかなり忙しなく動いていた。

 

葬儀の段取り、お坊さんの手配、親戚への連絡、仏壇の購入、かなりいっぱいいっぱいだった。

うちのかーちゃんは鬱持ちで、少しヒスってて何をしたら良いのか考えられず、

親戚の相手だけをしていた気がする。

そうしてあっちゅーまに葬儀となり、火葬され、じーちゃんは骨壷に入り、お寺に納められた。

ここまで3日、自分には一瞬の出来事であった。

ばーちゃんはこの辺りからボケが加速し始める。

 

それから下宿に自分は帰って就活を再開した。

葬儀の日にも他の会社の面接の予定は入っていたのだが、

葬儀でキャンセルのメールを出したにも関わらず、

メールが返ってこないところだった。

行かなくて本当に良かったと思った。

 

そのままトントントンと、一次筆記、二次面接、役員面接と週1ペースで東京へ夜行バスで通い、最終面接が終わってビルを出た瞬間「内定書類をお送りしますが、住所は○○でよろしかったでしょうか」と電話が来た。

あまりにも呆気なくて推薦を使った就活ってこんなものか、と思った。

内定確約書を送付し、自分の就活はここで終わった。

気付けば6月になっていた。

 

6月に入ると研究室の研究が本格的に始まる。

うちの研究室は先輩が去年でほとんど就職してしまったので、

その代で終わらなかったデータの処理もやらされている。

朝10時前に来て、帰るのはいつも教授が帰る19時以降。

別に早く返ってもいいのだけど、暗黙の了解があった。

資料を次の日まで作る必要があれば10時台以降も月に2回はある。

輪講は週に2回ある。予習復習は勉強ができない自分には毎回5時間は必要で、

それを終わらせた上で家事をやれば自分の時間はほとんど無かった。

土日のどちらかはサークルか研究室の飲み会や学会がある月であった。

気付けば、週1の休みは死んだように朝から晩まで寝ていた。

 

7月に入った。じーちゃんの四十九日である。

実家に帰ると、昼から親戚と酒盛りである。当然、世間話で盛り上がる。

同じ年の従兄弟は高卒で就職しており社会人5年目。出来婚で6月に結婚し、7月に出産予定である。

従兄弟の兄貴は専門卒の同じく社会人5年目。貯金が貯まったら彼女と結婚するそうな。

弟は地元の有名メーカーの社会人1年目で、残業時間が長くてどうのこうのという話だった。

俺は大学で忙しいという話しかできない。

そうすると、親戚はみんな社会人だから、「学生っていいよな。」だとか「毎日楽しいでしょ?」と言われる。

地方には大卒はかなり少ないから、こういう扱いを受ける。

「そうっすね」と流す自分。

すると酔った親父がオフイベで遊んでいた時のことを持ち出し

「今しか遊べないからっていい身分だこと」と言ってきた。

当然これには自分もキレる

「ほっだなお前だに大学の何がわがるっていうんだ!!就活もすねでのうのうと生きてきて!!ほんで今つれえって何や!!」

酒が入っていたとはいえ、親戚の前で自分はブチ切れてしまった。

母が止めに入るも、場の雰囲気は最悪で、耐えられなくなった自分は自分の部屋へと戻っていった。

昼からべろんべろんになっていて、自分の部屋で泣いた。

あとで親戚が帰るときは無理やり出迎えさせられた。

 

7月の2週目になった。

少しだけネットゲームに触れる時間ができた。(といっても毎日2時間が限度だが)

振られたあの人はすこぶる元気になっていた。

だけど、自分の中でネットとのズレを感じるようになった。

自分は3月からほとんどネトゲに触れていない。

みんなネトゲする時間はたっぷりあるように見える。

そして、実際そのネットゲームの話で毎日のように議論なり、募集なりで賑やかになってる。

自分は仲間はずれにされているって嫌な気分になって、他のゲームをした。

そして水曜のアップデートが来て、区切りもいいし、時間もちょっとなら作れるからそろそろ復帰したいなと思った。

 

俺は苦し紛れにお前は時間は作ればあるじゃんだとか、非効率なプレイ云々いう人に対してかなり毒を吐いた。

そうしたら、昔から仲の良かったはずのフォロワーからブロックやらリムブロを受けしまっているということが分かってきた。

 

ネットに現実を持ち込んだ自分を後悔しつつも、所詮他人は他人なんだなって強く実感した。

強い孤独感と排斥感を感じ、いつの間にか、大学の研究室に居ることが自分にとって心の安らぎであり、居場所なんだって思うようになっていた。

 

前まで自分のいた居心地のいい場所は、気付いたら無くなってた。

正確には吐く相手も居なくて自暴自棄になって自分で壊していた。

我慢しなきゃいけないことってこんなに大変だったんだね。

こんなことで自分は社会人になれるのかかなり不安だ。

 

もう他人と比べるのは疲れただろう。考えるのはやめておやすみ。

そうして今は毎日10時間近くぐっすり寝て、

起きたら研究室に行くだけの生活を送る

ありふれたただの"痛い大学生"になったのでした。

 

環境で人は変わるってお話でした。おわり。